それはお昼過ぎのことだった。瀬久原課長が苦虫を噛み潰したような不機嫌そうな顔で外出先から帰社された。
「課長。どうかなさいました?」 とわたしがついつい親切心から尋ねたのが、今思えばそもそも悪夢の始まりだった。

課長はよくぞ聞いてくれた!とばかりに、わたしをオフィスのとなりにある商談用の個室に連れ込んだ。
「実はな。今日の午前中、オレは下坂(くだりざか)興行の黄昏社長のところに商談に行った。 待合室のベンチで商談の
順番を待っていたら急に便意を催したんだ。 トイレに行き用を足して戻ってみると、あいつがベンチのところにいたんだよ。」
「あいつって誰ですか?」
「ホレ、あの握馬物産の・・・・えぇ~っと、赤い髪の女さ。」
「ああ、矢良 椎乃(やら しいの)。」 「そうそう、そいつだ。」

「で、あ~ら課長さん。ご商売の方はいかがですか? な~んて言うもんだから、ボチボチだなって言ってやった。」
「ふんふん、それで?」わたしはうかつにも課長の話に引きずり込まれていった。
「そしたら赤毛女が、まぁせいぜい頑張ってくださいな。ってぬかして、無気味な笑みを浮かべながら出て行ったんだ。」
「課長、よくわかります。そうなんですよね、ヤナ感じですよね、あの人。」わたしは課長の話にすっかり同調していた。
「それで、ここからが本題だ。 ベンチに置いてあったオレのカバンを見たら、どうも開けられたような形跡があるんだ。
でな、よく中を調べて見たら、ないんだ!とっても大事なものが!」と課長はここで急に興奮気味に語気を荒げた。

「いったい何がなくなってたんですか?」
「非常に重要なCD-ROMだ。」
わたしは下坂興行との取り引きのことを思い出した。たしかパチンコ、スロットから競馬、競輪、宝くじに至るまであらゆる
ギャンブルに使用できる新しいマネーシステムの提案をうちの会社が下坂興行にしているところだったはずだ。
娯楽経済研究所の出杉田(ですぎた)教授の発明で、その名も“出杉田マネー”。これが普及すればギャンブル市場が一変
するくらいビッグビジネスになると言われていた。
「課長、そのCD-ROMってやはり出杉田マネー関連の機密情報なんですか?」
「おお、よく知ってるな。まぁそれに匹敵するくらいトップシークレットのCDだ。これを紛失したら我が社は大ピンチだし、
オレの人生もおしまいだ!」
「で、まさか課長。そのCDを握馬物産の矢良が盗んだと?」 「そのとおり!あいつしかいない!いや絶対そうだ!」
そこで課長は急に小声になってわたしの耳元でささやいた。
「握馬物産からCDを奪い返す。」 「そうですよね。盗られたなら盗り返さないと。」 「オレに考えがある。」
「まず握馬物産に日中潜入し、CDの在り処をつきとめるんだ。そして夜になったら密かに侵入してCDを奪って逃げる。
な、名案だろ。」 課長はすごく得意げな顔をして言った。

「は、はぃ~・・・・ま、名案と言えば名案ですが、とってもシンプルですね。」
「作戦というのは、古今東西シンプル イズ ベストだ!」 すっかり軍師か参謀になりきっているようだ。
「じゃあ、課長。頑張ってください。成功を祈ってますわ。」わたしは課長を応援するよう言った。
「バカ!!オレじゃない、オマエが行くんだ!」 「へっ!?オマエってわたしのこと?」 「この部屋にはオレとオマエしかいない
んだぞ。オマエと言えばオマエしかいないだろ!」
「ちょ、ちょっと待ってください!そんな・・・・わたしにスパイか泥棒みたいなマネをしろって言うんですか?」

「あのな、握馬物産の社員はみんな女なんだ。だからオレが行くわけにはいかないんだ。わかったろ。な、な、頼む。会社の危機
を救えるのはキミしかいないんだ!頼むよ~。」 突然態度を変えた課長は泣きつくようにわたしに言った。
課長がここまで熱心に頼むし、握馬物産という会社のあくどいやり方をわたしは許せなかったから、乗り気ではなかったが渋々
この仕事を引き受けることにした。
「ありがとう!針筵くん。やっぱりキミはいざという時頼りになるなぁ。だが一つ安心しろ。CD-ROMは4ケタの暗証番号を入力し
ないとアクセスできないようになってるんだ。だからあいつらスンナリ見れず、今頃ヤキモキしてるに違いない。あいつらが暗証
番号を解読する前に奪い返せ。その暗証番号は5569。GO!GO!シックスナインだ。いい番号だろ!」
課長はよほど気に入ってるようで、まるで自信作のように言った。
「そうそう、夜の侵入にはこれを持って行きたまえ。」そう言って課長が取り出したのは黒いレザーのキャットスーツだった。
「スパイはスパイらしさが大切だ。」
「わたしスパイなんかじゃありません!まったくもう!ミッションインポシブルの観すぎじゃないんですか?」
「インポがどうしたって?」これ以上、反論する気にもなれなかった。
「そうだ!一つ言い忘れてた。CD-ROMにはこう書いてあるからよく確認し、くれぐれも他のと間違えるなよ。」
そう言って課長が書き込んだメモ紙を見ると、そこには“Xファイル”と言う文字が書かれていた。

翌日わたしは派遣社員に成りすまし、首尾よく握馬物産の営業部に潜入することができた。
すぐそばに矢良 椎乃、未鱈 菜子(みだら なこ)、笛羅 千緒(ふえら ちお)の性悪3人女がいる。
わたしはドキドキしたが、どうやらわたしの変装に気づいていないようだ。

それもそのはず、3人は何か大声で喧々諤々やっていたから、こちらにはまったく注意を向けていなかったのだ。
耳をそばだてて会話の内容を聞くと・・・・「あのボンクラ課長からせっかくCDを盗んだっていうのにガードがかかってるとは!」
「暗証番号の解読、まだなの?!麗図(れいず)社長から早くしろって矢の催促よ!」
「もたもたしてたらわたしたち、また社長の鞭でお仕置きされちゃうわよ!」
(やっぱり・・・・瀬久原課長の予想通り、CDは彼女らが持ってるんだわ。)わたしは予想外に早く在り処をつきとめることができて
一安心した。(あとはどこにCDをしまうかを見届けないと・・・・・)

矢良たち3人はさんざん暗証番号解読にトライしていたが、ついに断念しCDを矢良チーフの机の引き出しにしまいこんだ。
やがて終業時間となり、社員たちは順々に退社して行き、わたしも適当な時間で会社をあとにした。
さあ、ここからが勝負ね。 わたしは握馬物産ビルの裏手に向かい、そこでパートナーの伊闇さんと合流した。
この先輩と組むこともまったく気が乗らなかったが、いざという時二人の方が安心なので、仕方なくパートナーを組むことにした。

伊闇さんは逃走用の車で待機する役目だったが、その車の中で例の侵入用キャットスーツに着替えると、わたしは時間が来る
まで車内で待つことにした。こんな格好ではスタバにすら行けなかったからだ。
深夜12時。いよいよ行動開始の時間だ。

※この物語はすべてフィクションであり、登場人物および団体は実在しないものであります。