今日は久しぶりに他の部署の同期入社の友達とランチに行き、帰りに本日オープンしたばかりの喫茶店でお茶することにした。
話題のお店の情報にはOLたちは目ざとく店内は満席だったが、わたしたちはいいタイミングで席を確保することができた。
若い女子社員が集まれば出てくる話は、ファッションかグルメか恋愛の話題と相場は決まっている。
  
そんな気ままな会話をわたしたちが楽しんでいると、「ちょっとぉー!席譲りなさいよ!」と背後から大声が聞こえてきた。
振り向くとうしろの席もうちの会社の女子社員たちで、その傍らに立って彼女らに強引に席を譲れと迫っている一人の女性が見えた。
女子社員たちが渋々席を立とうとしたものだから、わたしは思わず(いつもの困った性格が出て・・・)「ちょっと、あなた。
席に着きたいなら、ちゃんと順番を待つべきだわ。」とその立っている女性に注意をしてしまった。
                
すると女性はわたしの方を向き、「あら、あなた、見たことがあるわ。うちの会社の人ね。」とツンとすました顔で言った。
そう言われて、わたしもあらためてその女性の顔を見ると、なんと今年入社の金有 益代(かねあり ますよ)さんではないか。
「あなた、私が誰だか知ってるの?」と益代が言う。
「知ってるわよ。秘書課の金有さんですよね。」とわたしも言い返した。
             
「そうじゃなくて、私は豪紋商事社長の金有 余(かねあり あまる)の娘ってこと知ってるの?」
「それも知ってるわ。でも、この場合、社長の娘さんだって関係ないでしょ?」
「あら、呆れた。あなた、サラリーマンとしての常識に欠けるわね!どんな時だって、社長令嬢は社長令嬢よ。」
「呆れるのはあなたの方だわ。喫茶店の席と社長令嬢は無関係よ。そういうの“虎の威を借る”って習わなかった?」
「もういいわっ!あなた名前なんていうの?」と益代は怒って言う。 「営業部営業1課の針筵 明日香よ。」わたしも隠さず言った。
「わかったわっ!覚えてらっしゃい。パパに言っちゃうから!」 そう捨て台詞を吐いて、益代は荒々しく店を出て行った。
                  
席に戻ると友達が心配そうな顔でわたしのことを見ているので、
「心配ないわ。ああいうのが今の世の中でも通用するなんて、あの子本気で思ってるのかしら。」 とわたしは笑って見せた。

その日はすっかり残業が長引き、わたしが会社を出たのはもう9時を少し回っていた。
わたしは早く家に帰ってお風呂でリラックスしたかったので、駅への近道である人通りの少ない裏道を選んだ。
車の往来が激しい表通りと違ってシーンと静まり返った裏道は見るべき看板もなく、わたしは歩きながらふと昼間の金有さんと
の一件を思い出していた。
                 
だから、そんなわたしの横にスゥーーーッと黒塗りのワゴン車が無灯火で音もなく接近してきたことなど気づきもしなかった。
突然、ワゴン車の横のドアが開き、二人の男が降りてきてわたしを前後から挟むように立った。
「な、なんなの、あなたたち!?」
突然の男たちの出現に驚くわたしの顔を、背後の男がサッと手を伸ばしハンカチで覆った。
今思うとクロロホルムのようだったが、わたしはその後の記憶がまったく途絶えてしまった。
        
気がつくとわたしは薄暗い倉庫のような部屋に連れ込まれていた。
手をうしろに、足は揃えて、金属製の椅子にガッチリ縛られている。 おまけにガムテープで口を塞がれているので声も出せない。
目の前には黒いストッキングを被った3人の男たちがしきりに会話をしていたが、正気に返ったわたしに気づいていないようだった。
 
気を失っているふりをしながら、耳をそばだてて男たちの会話を聞いてみると・・・・
「思った以上にうまく行ったな。」「あとはこいつでガッポリ頂くだけだ。」「おい、そろそろ手紙を見た頃だろうから、電話してみろ。」

わたしは知らなかったが、その頃、豪紋商事社長 金有 余のお屋敷はパニック状態になっていたらしい。
居間では金有社長と危機管理部の井以下 元(いいか げん)部長が、深刻な表情でテーブルに置かれた1枚の手紙を見つめていた。
手紙にはワープロの文字で「娘を誘拐した。追って要求を連絡する。他言は無用。」とあった。
  
「社長。この手紙は単なる悪質な嫌がらせかもしれません。行動はくれぐれも慎重にお願いします。」と井以下部長が言う。
「キミ!なにを呑気なことを言ってるんだ!娘が・・・益代が誘拐されたんだぞ! ケータイにも出ない。これは本物だよ!」
「でも、まだ犯人から何の要求も・・・」と井以下部長が言いかけたその時、静まり返った居間に電話がけたたましく鳴り響いた。
すぐさま金有社長が受話器を取る。 「・・・・・・・い、いかにも、社長の金有だ。娘は、娘は無事なのか?!」
わたしが監禁されている倉庫では、一人の男が携帯電話を持ったままわたしに近づき、口のガムテープをビリッと剥がすと
もう一人がいきなり胸をギュッと握りしめた。
「い、痛ぁいっ!な、なにすんの!」わたしが思わず大声で叫ぶと、すぐさま男は新しいガムテープでわたしの口を再び塞いだ。
「ほら、今の聞こえただろ。娘の命が惜しければ1億円を指定口座に振り込むんだ。口座番号はあとで連絡する。」
        
「わ、わかった・・・・だから娘に乱暴するな!」 金有社長は即答した。
「しゃ、社長!そんな・・・簡単に約束しちゃダメですよ。警察、警察に連絡しましょう。」 井以下部長が小声で社長に耳打ちする。
「おい、わかってんだろうな。警察の気配を少しでも感じたら、娘の体はズタズタになるぜ。」 犯人は社長を脅すと電話を切った。
「井以下君!警察はダメだ、警察は!それより、経理部長に言って1億円を大至急準備させろ!」
「は、はぁ・・・あのぉ、お言葉ですが・・・・社長個人のお金じゃなくて会社のお金でお払いに?」
「あたりまえだ!娘はうちの社員だぞ!社員なら当然だ! 大至急やれ!!!」
                  
その時だった。 居間のドアがガチャッと開いて「ただいまぁ~。」と少々赤い顔をした益代が入ってきた。
「ああ、お帰り・・・・って、ど、ど、ど、どーーしてここに?!」社長も部長もあまりの驚きで言葉も出なかった。
                                              
「あら、井以下部長さん。いらしてたんですかぁ? パパ、ごめん、ちょっと飲みすぎちゃって遅くなっちゃったぁ。」
「お、お、お、おまえ、無事なのか?! 携帯はどうした?何で電話に出なかった?」社長はまだ信じられないという顔で言った。
「無事よ、私。どうしたの、パパ? あ、携帯ね。まわりが騒がしくって鳴ってるの聞こえなかった。」
ようやく社長も娘の無事を理解でき、徐々に落ち着きを取り戻していった。
「ああ、よかった。ホントよかったぁ。」 社長はキョトンとする益代をギュッと抱きしめた。
「あ、あのぉ・・・社長。」と父娘の感動的なシーンに遠慮するように恐る恐る井以下部長が尋ねた。
「ん、なんだ?」
「っていうことは、誰なんです?あの女性・・・・・」
「あの女性?なんのことだ? 娘は無事だということがわかったから、もう関係ないだろ。」
その時、再び電話が鳴った。 すぐさま社長が受話器を取る。
「おい、犯人。娘はここにいるぞ。おまえらの脅しなんかクソくらえだ!ガハハハハハ・・・」と社長は態度を一転させ豪語した。
               
今度は倉庫がパニックに陥った。
「なに!そ、それじゃ、こいつは誰なんだ!?」
犯人たちは大いに慌てた様子で、わたしの口から荒っぽくガムテープを剥ぎ取った。
「もう!苦しかったじゃない!聞いてりゃあなたたち、とんでもないミスをしたようね。わたしは社長令嬢の益代さんじゃなくって
社員の針筵 明日香よ!」
「おい、金有社長。聞いたか?! 娘じゃなかったが、おまえんとこの社員のハリムシロとかってヤツだ!こいつの命が惜し
けりゃ、やっぱり身代金を用意しろ!」
「井以下君。ハリムシロってうちの会社にいるのか?」社長が部長に尋ねる。
「はて・・・・私も社員の名前を全員知ってるわけではないので・・・・」
すると社長は受話器に向かって怒鳴った。 「おい、犯人。そのハリムシロといううちの社員の所属部署を尋ねてくれ!」
「オイ、おまえ。金有社長がおまえの所属部署を教えろと言ってるぞ。いったいどこなんだ!」
「営業部営業1課の針筵。針筵明日香です、社長ぉーーーーっ!」わたしは電話越しに社長に聞こえるように大声で言った。
                                         
「井以下君。営業部営業1課というと・・・・そう、瀬久原君の部署だな?すぐ瀬久原君と連絡を取って確認しろ!」
井以下部長が瀬久原課長の携帯に電話を入れる。 その頃電話の向うの課長は居酒屋でしたたか飲んでいた。
「あ、これはこれは、キキカンのいい加減?イヤ、井以下部長。なんですか?ハリムシロっているかって?う~む・・・・・・」
                
グデングデンに酔っ払ってる瀬久原課長はしばらく考え込み、隣にいた肝井さんに尋ねた。「肝井!ハリムシロって知ってるか?」
で、ようやく気づいたようで「ああ、これはこれは、いい加減、イヤ、井以下部長。明日香のことですね。若干1名いましたよ。」
「瀬久原課長、落ち着いて聞いてくれ!その君の部下が誘拐されたんだ!」井以下部長は瀬久原課長に事情を説明した。
「明日香がユーカイ?ははは、そうなんですよ。あいつはけっこう“愉快”なヤツでして。それだけですか?電話、切りますよ。」
「お、おい、ちょ、ちょっと・・・・」と慌てる井以下部長の耳元で電話は切られた。
「ダメです。相当酔っ払ってます。」
「まぁいい。いずれにせよ、うちの社員ってことはわかった。」
するとこのやりとりの一部始終を電話越しに聞いていた犯人から「おい、金有社長。わかっただろ、お宅の社員だってこと。
だったら1億円、さっさと用意しろ!」
「1億円!? 娘でもないたかが社員に1億円も出せるか!」 金有社長は強気に言い放った。
                               



※この物語はすべてフィクションであり、登場人物および団体は実在しないものであります。

 

 

 

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